つぶやきしぶちん

新年恒例の?

2010年01月04日 | つぶやきしぶちん


つぶやきです^^

                  「受験生」

次男が中3であります。
家の事はすっかり妻に任せっきりですが「勉強しなさい!」の声を
最近やたらと聞くようになり「そうか受験生か・・・」と認識した僕であります。

そんな妻のヒステリックな声を聞いていると、ふと僕が中3の頃を
思い出したのでした。
そう母親の「勉強しなさい!」の声を。

僕はなんせ勉強嫌いの子供でありました。
中3になり、いよいよ進路を決めねばならない時期が訪れました。
兵庫県はその頃、内申書と当日の試験での成績で県立高校に行けるか
行けないか?なので中間層は殆ど最寄の県立高校を目指すのが普通でした。
いわゆる強烈に頭の良い子は有名私学へ
そして少々点数の悪い子はそれなりの私学へ
という感じでした。して僕は最寄の県立高校へ~と考えておりましたが
普段、全然勉強をしないガキだったので内申書の段階で
とても厳しいボーダーラインと担任教師に言われたのでした。
体育や美術は5でしたが(笑)なんせ数学、英語、国語が悪い^^;

それを知った母親は僕に鞭を入れたのでした!
なんと家庭教師まで手配し、思い起こせば受験前数ヶ月が
今までの中で一番勉強した時期だったと思います。
それは、正直なところ自覚した訳ではなく、母親に煩く言われるから
というのが正直なところでしょうか。

いったい何回言われただろう。

「勉強しなさい!」と。

滑り止めで受けた私学は僕でさえ恐ろしく簡単な試験で合格した。
面接の時に手伝いで来ていた生徒達の怖さに震え上がった。
まさに「嗚呼 花の応援団」の世界の男子校。。。
こりゃ、絶対に志望校に受からないと!と思ったのでした。
最初からボーダーラインで無ければ滑り止めの受験など
受けずにすんだもののですが、後の祭りでした。

志望校の試験が終わり発表の時
流石に僕も緊張をしていた。
家を出る際「見たらすぐに電話入れてね!」と母親が10円玉を数枚
僕によこした。
当然の事ながらその頃、携帯電話などない時代だ。

自分の受験番号を貼り出された合格番号から探す。
心臓の音が耳で鳴った。

「あった!」

近くにいた同じクラスの生徒や心配で見に来てくれた担任の先生と
半泣きで皆喜んでいた。

僕は母親の事をすぐに思い出し、通りにある電話ボックスへ走った。

少し震えた手で10円を入れて自宅へかける。
すぐに母親は受話器の向こで出た。

「受かったよ!」僕

「・・・良かった良かった!」と母親は言うなり泣き出した。
それも声を出して泣き出した。
ドン引きするほど泣いていた。

僕はその時、本当に嬉しかった。
受かった事より、母親がこんなに喜んでくれるなんて。

今、思えばあの母親の「勉強しなさい」が無ければ、その希望する高校へ
間違いなく行けなかっただろうし、ほんの小さいハードルだったが
受験で勝てたという実感ももたらせなかった事でしょう。
人生の中で短い期間ではあったが勉強に集中した。
その「勉強しなさい!」がどれだけの愛があり、息子の事を心配した
言葉だったのかは、同じく子育てしたこの年齢になってくると
ジワジワ判ってくるものです。

聞けば次男はあの時の僕に似ているようだ。
希望する高校へは非常に微妙な位置らしい。

ここのところはPCに居座る事もなく部屋にこもっているが
勉強をしているのだろうか??

今は煩いと君は思っているかもしれない。
でも、お母さんの想いはきっと大人になってから判るよ。

お母さんを喜ばして欲しいと思う父より  T君へ

                 ・

             「かあさん」

一人暮らしの高校時代

毎月仕送りをしてもらっていた僕はお金が振り込まれると
まずは洋服を買いに行くアホでした。
1ヶ月をその金額でやりくりしなけりゃならないのに「VAN」に行き
シャツを買い、ジーンズ屋でラングラーを買い
ブーツを買いコロンを買った。

昼ごはんは学食でフルコース!カレーに定食にすうどん!
JAZZ喫茶に通い、スナックへ行きインベーダーゲーム機に
百円玉を高く積んだ。

当然、月末はキツクなり学食のおばちゃんに
うどんの汁だけ!と注文した(確か20円)

何年目か忘れたが「年末は帰っておいで」と母親から電話がった。
「お金無いから帰れないよ。。。」と僕は答えた。
もちろん無駄遣いばかりしてたからお金は無かったんだ。
でもそれより、今、実家へ帰るとなんと言うか、もう戻りたく
無くなるというか、そんな気持ちになるんじゃないか?って
不安になったのです。

母親から現金書留が届いた。
「お正月は帰って来なさい」と手紙が同封されていた。

当時、両親は吉祥寺に住んでおり僕は年末に帰ったのです。
家までまだ100m以上あるのに飼っていた犬(ノラという名)が
僕の足音を察知し嬉しそうに吠えているが聞こえる。
家に着くと、ノラはお漏らしでの歓迎である(笑)

今思えば高校生のまだ子供の僕に両親は本当に会いたかったの
だろうと思う。(お漏らしする程じゃないだろうが)

正月をなんとなく過ごし確かまだ学校の始業式はまだまだ先なのに
そそくさと帰る事を決めていた僕でした。
「明日、早くに出るから起きなくていいからさ」と僕は
母親に言って正月休み最後の夜を迎えた。

良く朝、準備を済ませ玄関へ向かうと母親が起きていた。
少々戸惑いながら「行くからさ」と言って玄関を出た。
顔は見れなかった。
しばらく歩いてなんとなく家を振返ると通りに出てこちらを
見ている母親がいた。

「かあさん。。。」

僕は手を振ることも頭を下げることも出来ずにすぐに前を向き
歩いていってしまった。

そういう年頃の僕だったんです。

今、謝りたいというか・・・

「かあさん、ありがとう」と言いたいです。

母の愛は底なしでした。いつもそうだったんだ。
今、僕の子供達へ、まだソレに気が付かない子供達へ

しぶちん




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