つぶやきしぶちん

Mメカ

2006年11月20日 | つぶやきしぶちん


彼と知り合ったのは十数年前のことである。当時、車屋を本業にしていなかった私は、丁度皆さんと同じ
車好きのおっさんだった。

                「出会い」

彼と知り合ったのは十数年前のことである。
当時、車屋を本業にしていなかった私は、丁度皆さんと同じ
車好きのおっさんだった。
その頃、愛車の面倒をみてもらっていた修理屋があった。
そこの親父が以前知り合いだった若い彼を誘ったようだった。
ディラーに勤めていたのに好きな車がいじれるので参加したのだろうか。

何度か工場で顔を会わせたが、自分からは話しかけて来ない。
大人しいシャイな印象だった。
親父さんから殆んどの仕事を任されて、エンジンやミッションを
組み立てる彼の姿を時々見ていた。
仕事が綺麗でとても丁寧にしているのが伝わる。
月日が流れ常連仲間とともに皆で仲良くなっていったが彼とは
まともな話は一度もしなかったと思う。
お互い避けていたわけでは無いのだが。

ある日、そこに集まる常連でとあるイベントに行く事になった。
ナビがいなかった私は、彼とペアを組む事になり一緒にイベント
に参加したのが唯一の思い出かもしれない。
仲間達はアルピーヌ110や8ゴルディーニで私は現在もKIにある
1000TCR仕様で参加した。その頃、この車はまだ4速で、高速では
結構辛かった。スピードの出る110を泣きながら追っかけたw
内装を全く持たず、マフラーもストレートでメチャクチャ喧しい
車で関東から新潟まで自走で行った。
インカムをしないと隣のMメカとは話が出来ないほどだった。

イベント中、づっと一緒にいて、寝室ももちろん同じだったが
とりたてて何か話した印象が無い。
まぁお互いに普通だったのです。

・・・・この頃のことを思うと、札幌で一緒に仕事をするなんて
お互いに考えもしなかった。

             「縁」

数年後、彼と電話で話す機会があった。
いろいろ事情があり彼が勤めていた工場は無くなり
その後、周りのお客さんの後押しもあり彼は独立し自分の
工場を持っていた。
たまたまゴルディーニがKIに入庫してて、彼から部品を
送ってもらったり、アドバイスをもらったりしていた。
何度か電話で話しをしながら、彼が見えてきた。
何度もあってた頃は、まともな話をしなかったが離れてお互い
経営者として話をして通じるものがあったのだと思う。
私は「札幌に来てくれないか?」「俺と一緒にやらないか?」
と彼に話をもちかけていた。

KIはメカニックが居なくて、すべて外注だった。もちろん
それでも成り立っていたので良かったのだが理想は
腕のいいメカニックが在籍しているのが理想だ。
何度か、そのような話もあったのだが、中途半端な人と
仕事をする気は元々無かった。
腕もそうだが、最後は人間だ。
気が合うとかではなく、仕事に対する姿勢であり、情熱であり
スタンス。最終的には生き方。
彼とならこう出来る!という自信があった。
ただ彼は遅い結婚をし、子供も出来て身軽では無かった。
北の果て、札幌で細々とやっている、それもイタ・フラ車を
扱ってる吹けば飛ぶような小さな店だ。
ろくな在庫も無く、さりとて資産はゼロ。あるのは店主の
夢だけのような店だ。
私もあまり無理にも誘えなかった。

彼の店は、仲のいい常連さんの仕事でなんとかお金も
回っているようだった。ただ、一人で仕事を続ける辛さや寂しさ
は味わっているようでもあったが。

ラブコールを送り続け3年目のことだった。
KIは丁度、転機を迎えていた。ようやく自宅近所に理想の
店舗が見つかり、少々無理はしてもなんとかここに引っ越そうと
思っていた頃。
彼も借りている工場の更新が近づいていた。
結婚、出産で3人家族になり、いろいろ考え方も変化が
あったようだった。
「一度、そちらに遊びに行こうかと思ってます」と彼。
「そうだね今はタイミング的に丁度いい、とりあえあず
こちらの雰囲気を遊びがてら見においで」と私。

そして久しぶりの対面。
奥さんと赤ちゃんに会うのはもちろん初めてだった。
奥さんに会い私は確信する。この夫婦なら大丈夫。
そして来てくれると。
二人とも田舎志向で且つ子供は空気のいい所で育てたい
という気持ちもあったそうだ。

美味い寿司を食べさせ、こんな美味い物が年中食べれるんだよ!
と札幌を猛アピールしたのは言うまでも無い(笑)

~~そして数日後、正式に来てくれる事が決まった。

縁だと思う。全てのタイミングが合致した。

それが丁度2年前の今頃の話です。
この2年間、バタバタしていたがMメカ家族もすっかり道民になり(笑
札幌を気に入ってくれた様です。今では奥様のお母さんも一緒に住み
家族が増えました。

しかし、何の保証も無い、全く知らない土地に家族全員で良く
来てくれたものだと、未だに思う。
彼が入り、KIはとても深い仕事まで出来るように成長してきた。
本当に彼のお陰である。
一流の腕を持ってる彼のことです。
設備が整い、給料もいい勤め先はいくらでもあったと思う。
こんな北の果てに、夢だけ語るこのヒゲジジィの店に良く来てくれました。。。
何も出来なかった息子も彼の指導で日々成長している。
本当に彼には感謝している。

ありがとう。

そしてこれからもよろしくお願いします。

                   「道」

私は45歳、まだまだこれから!やらなきゃならいない事、やりたい事、無限にある。
しかし、まだうんと先だろうが、私が死んだ時にはMメカには跡を継いでもらいたいと
思っている。
シャイな彼なので、いわゆる営業は出来ないだろう(笑)
販売よりも修理・レストア中心のショップになるだろうが。
出来ればその時、まだ私の息子が整備の仕事を続けていたら
一緒に頑張っていって欲しいと願うばかりです。

その日まで、私なりに「道」をつけれれば・・と思う。太くて長くて安心出来る道は
どうも私には無理そうだがw
道しるべだけは、迷子にならないような方角だけは。と思っている。

まだまだそれどころでは無く、日々アップアップの状況なのでかなり時間は
かかりそうなので当分、死ねませんがね^^;

                                 ばいなら!




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